Sun*flower




 
その日はやけに朝早く目が覚めた。
 
う…ん、と重い瞼をゆっくりと持ち上げると、枕のすぐ傍に置いてある目覚まし時計がいつも起きる時間よりも1時間程前の数字を短針が指しているのが見える。
いつもならもう少しだけ、とそのまま再び夢の世界へ誘われるところだが、今日は違った。
頭こそ未だに冴えてはいないものの、カレンダーを見ない内に今日という日が何を示すかのか、考えただけでもわくわくしてしまう。
とん、とベットから若干飛ぶように降りると、少し肌寒くなった朝に耐えるように薄い上着を羽織ながらアスランは居間がある1階へと降りていった。
 
たった1時間しか早く起きていないのに、この室温の差はなんだろう。
スリッパを穿いたり上着を羽織ったとはいえ、足元が特に冷えてくる。アスランは少しぶるっと体を震わせながら、居間のドアを開けた。
 
「おはようございます、母上。」
 
この時間には既に身支度を整え、朝食を作っている母。
いつもアスランが起きるぐらいに家を出るため、ほんの数分、まさにお出かけ前のキスをするぐらいしか顔を合わす時間はないが、今日はアスランの朝が早いために一緒に食べれそうだ。
 
…そう思っていたのに。
 
アスランの声だけが、空しく居間に響いた。
 
「…母上?」
 
もう一度呼んでみる。しかし、母はおろか誰もアスランの声に反応する者はその部屋にいない。
シ…ンと静まり返った空間にアスランは只一人居間のドアの前で立ち尽くしていた。
と、アスランは起き抜けの頭で咄嗟に1つの希望を見出す。
…もしかして母はまだ寝ているのではないだろうか?普段から仕事尽くめの毎日なのだから、たまの寝坊や急な有給休暇だってありえる。
いや、あの真面目な母のことだから寝坊なんて限りなく低い可能性だ。…ということは、やっぱり休暇、だったりするのではないだろうか?
だって今日は…今日だけは…。。
 
ふ、と浮かんだ最悪のシナリオに頭を振りながら、アスランはそのまま居間へと入った。
が、残酷とはまさにこのこと。
アスランの書いた最悪のシナリオが、1枚のメモ用紙に書かれて机の上に置いてあった。
 
 
「…母上は……今日は帰らない…?」
 
 
かたかたと震える手に握り締められた1枚のメモ用紙。
そこには恐らくかなり急いでいたのだろう、走り書きのような文字が並んでいたが、それは確かに母の字だった。
急な仕事で早朝から出勤したということ、そして今日はいつも以上にいつ帰れるか分からない、という内容にアスランは愕然とする。
体だけではなく、一気に心の方まで冷え込んできた。
仕事だから仕方がないのは充分承知している。母が如何に自分や家族を愛しているか、大切に思っているかも分かっている。
 
「……バカだ、僕…っ…!」
 
…何をそんなに楽しみにしてたんだろう。
…何でこんなに舞い上がってしまったんだろう。
母上はお仕事、父上もお仕事。なら、仕方がないじゃないか。
 
だが幼いアスランは、理解は出来ても当然心が上手く付いて行かなかった。
胸の辺りがすごく苦しい。けど、どう言葉で表していいのかも分からない。
そのイライラが更にアスランを苦しめ、一粒の涙となってアスランの頬を濡らした。
 
「…誕生日なんて、大嫌いだ!」
 
 
 
 
 
 
 
「…ラ…ン!…ス…ラン!」
 
「…?」
 
白い闇からいきなり連れ出されるように、ふ、と目を開けると紫色の瞳と目視線が重なった。
この目の持ち主は確か…。。
 
「…キ……ラ……?」
 
「アスラン!もう、いい加減起きなきゃだめだよ!…ほら、そんな寝惚けた顔してないで!」
 
やっとの思いで起こした親友がまた夢の世界へ行こうとしていると思ったのか、キラは呆れながらもついに布団を剥がそうと布団に手をかける。
しかしアスランはそれ以前に、一人まだこの状況が飲み込めていなかった。
…どうしてキラがここにいるのだろう?
だってここは自分の家の筈で、これから学校でキラと会って…。。
……ん?学校?
 
ようやく意識を覚醒させると、するすると状況が頭の中に入ってくる。
キラが布団をひっぺ返そうとしたまさにその時、アスラン自身ががばっとベットから起き上がった。
 
「…ちょっ、びっくりさせないでよ!アスラン!」
 
突然起き上がったアスランに驚いたキラが少しよろける。
せっかく起こしたのに、先程からアスランがこんな調子では口がつい尖ってしまうのも仕方がない。
 
「キラ…ここってエターナル……で、いいんだよな。」
 
案の定、アスランは素っ頓狂なことを聞き出してきた。
やはり覚醒し始めたとはいえ、まだ意識が少し朦朧(もうろう)としているらしい。
 
「何?まさか自分の家だと思ったの?」
 
「………………いや…、只変な夢を見ただけだ。」
 
やけに長く空いた間から、キラは肯定の意味として捉えた。
つまりだ。あのアスランが。あ、の、アスランが人の前で堂々と寝惚けていた、ということである。
くすくすと隠れるように笑っていると、後ろでごほん、と当人がやけにわざとらしく咳をした。
気のせいか、若干顔が赤い気がする。
 
「…で、お前は何で俺の部屋にいるんだ?今日は非番の日だろう?」
 
もちろん戦時下にいるのだから、最大戦力であるキラとアスランに完全な非番の日などはない。
しかし戦闘以外での雑務を一切しない、一部のみの休みという日はそれなりに設けられていた。
丁度まさに本日が2人にとっての非番の日なのである。
 
「まぁそうなんだけどね。君に用があったのはもちろんなんだけど、時間も時間だから起こした、って訳。」
 
「時間って…まだ朝の9時だろう?もう少し寝かせてくれたって…」
 
「もう、9時だよ。君、今日が非番だからってまた遅くまで起きてたんでしょ?」
 
「仕方ないだろ、整備士に頼まれていたプログラミングの補正作業をしていたんだから。それがないと今日の仕事が出来ないって言われたら此方も断れない。」
 
ふぁっと大きなあくびをすると、アスランは眠たそうに目を擦った。
そんな親友の様子に、さすがのキラも苦笑する。
 
「…今はどこも人不足だもんね。とりあえず、お疲れ様。」
 
「お疲れ様だと思うならもう少し寝かせてくれ…。あと1時間でいいから…。」
 
はっ、とキラが気付くとアスランは再び布団の中に体を潜り込ませようとしている。
慌てて今度こそ布団をひっぺ返した。
 
「もう!それじゃあ僕が起こしに来た意味がないでしょ!今日だけでもちょっとは早く起きなよ!」
 
「今日…?今日だからこそゆっくりす休むんだろう?いつ、また戦闘が開始されるか分からないのに。」
 
「え。まさか君、今日が何の日か分からない訳じゃないよね?只の非番の日じゃないって分かっているよね?」
 
「…?なんだ?今日の非番は俺とお前だけじゃないのか?」
 
 
…頼むから、僕が何か間違っていることを言っているような視線で見ないでね。
と、顔に疑念という二文字が見事に出ているアスランを前に、キラは心の中で思いっきり溜め息を吐いた。
まさかの展開…とまではいかなくても、ここまで興味の無いことに関して忘れっぽくなってしまう親友に改めて驚愕してしまう。
 
興味のない、こと、ね…。
 
自嘲気味に笑うと、未だに何のことだかさっぱり分からないらしいアスランをそのまま丸め込んで、部屋から連れ出す。
2年は一緒に過ごした、又はお祝いしたラクスならこういうアスランの性格を知っているかもしれないが、果たしてカガリはどうだろうか。
自分のことに関してまるで無頓着な面に、思わず怒鳴りつけてくるかもしれない。
…うん、それはそれで面白そうだ。
歩きながら、未だに眠そうな顔をしているアスランの顔をちらりと盗み見る。
 
「…なんだ?」
 
そんなキラの不自然な視線に気付いたアスランが、更に不思議がって視線を返してくる。
…やっぱりまだ何も分かっていないらしい。
 
「う、ううん。何でもない。…あ、そういえば今日はカガリが用事があるって言ってコッチに来るみたいだよ?ラクスが言ってた。」
 
「そうか…。」
 
「…え、それだけ?」
 
「何がだ?」
 
「……何でもない。」
 
予想通りといえばそれまで。
しかし見事に予想通り、期待を裏切ってくれるアスランの言葉の数々に、キラはついに心の中ではなくあからさまに重い溜め息を吐いてみせた。
一方散々振り回されたあげく、もしくは振り回され続けている最中のアスランはそんなキラの反応に少々いらつきを覚え始める。
 
「さっきからそればっかりだろ。人に質問しておいて、”何でもない”って。」
 
「だって本当に何でもないんだもん。…って言うより、答えを教えちゃったら面白くないかな?ーって思っただけ。」
 
「…思っただけ、じゃない!」
 
ふん、と呆れるようにアスランが顔を背けると、キラよりも大分先に歩いていってしまった。
 
「あ!ちょっと待ってよアスランー!」
 
キラは慌てて、親友の背中を見つめながらそれを追いかけた。
これからこの鈍感な彼をどう驚かしてやろう、楽しませてやろう。考えただけでもわくわくしてくる。
朝一番に言おうと思った言葉を少し先延ばしにし、代わりに、それでもアスランに聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
 
 
「…君に出会えて良かったよ、アスラン。」
 
 
 
 
 
 
一方その頃。
カガリはアスランよりも2時間も前に早く起きると、さっそくエターナルに移動して今日の為の準備を始めていた。
ラクスに一室を借りて、一人黙々と作業をこなす。
キサカに無理を言い、この日はキラ達と同じく戦闘以外の仕事は全て休みにしてもらっているため幾分気が楽だった。
むしろ敵の方も今日ぐらいは何処も休戦でもしていてくれないだろうか。
…だって、せっかく彼の特別な日だというのに。
もちろんそんなこと言ってしまえばキリがないが、カガリにしてみればそれこそが切実な願いだった。
どうか来年こそ、クルー皆の記念すべき日には平和でありますように、と。
 
「さて、やっと出来たぞ。」
 
昨日は疲れて早々に寝てしまった為に完成させることは出来なかったが、その分早めに起きて良かった。
最後に蓋をし、最終確認をしたところ出来はまぁまぁのようである。
…果たしてアスランは喜んでくれるのだろうか。
いや、何だかんだと優しい彼のことだから素直に喜んでくれるだろう。うん、きっとそうだ。
へへっ、とカガリが一人くすぐったい気持ちに浸っていると、ぷしゅん、と扉が開く音がした。
 
「失礼致します。…あら?カガリさん、どうなさいましたの?」
 
プラントの歌姫----こと、ラクスが部屋に入ろうとすると、まず目についたのがたった今何かを落としそうになったらしいカガリが、必死にそれを受け止めた直後の姿だった。
よっぽど慌てたのだろう、ほとんど椅子から転げ落ちてしまっている。
 
「ラ、ラクス〜…驚かさないでくれよ〜」
 
気恥ずかしさのあまり、顔を赤くしながら半分涙目になっていると、ラクスはくすくすと笑いながらカガリを起こしてくれた。
 
「すみません。驚かすつもりはなかったのですが、ベルを鳴らしても反応がなかったので何かあったのでは、と。」
 
「え?鳴らしてくれたのか?」
 
「はい。でも何事もなかったようで安心しました。」
 
そう言うと本当に安心したのだろう。ラクスはその端正な表情を緩ませ、にっこり笑った。
カガリはというと、ベルにまったく気付かない自分が情けないと思うと同時に、ラクスの笑顔に更に申し訳ない気持ちが強くなる。
 
「すまなかったな…せっかく心配してくれたのに。」
 
「いえいえ、お気になさらないで下さいな。それよりそちらにお持ちになっているのは、先程の完成したものですか?」
 
「あ、これか?…うん、丁度今出来たところなんだ。」
 
はい、とラクスに手渡すと、受け取ったラクスが「まぁ!」と感嘆の声を漏らす。
小さな小瓶に入ったそれは、何とも可愛らしく、そしてカガリらしい一品であった。
 
「とても素敵なプレゼントですね。このような物を頂けるアスランが羨ましいですわ。」
 
しかもカガリから、なんて。
あの堅物のアスランがどんな反応するか、想像しただけでもほのぼのした気持ちになってくる。
アスランだけではない、キラも自分も目の前の少女にはいつだって彼女の持つ金糸の髪のような温かくて眩い光を与えてもらっているのだ。
 
「こんなので良いなら幾らでもラクスにプレゼントするよ。欲しかったらいつでも言ってくれ。」
 
「まぁ!それでは私の時も作って頂けますか?お部屋にぜひ使わせて頂きたいのです。」
 
「分かった。じゃあ次はラクスの時、な!…期待はするなよ?」
 
「うふふ、分かりましたわ。」
 
2人の姫は互いに顔を合わせると、くすくすと笑いあった。
危なっかしいあいつの特別な日。それをどうお祝いしてあげよう、どう喜ばせよう。考えただけでドキドキしてくる。
今日という日をあいつと、仲間と過ごせてカガリは本当に嬉しかった。
 
 
 
「…地球も今日は晴れているといいな。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「馬っ鹿野朗ー!そのケーブルをそっちに繋いでどうする!さっさと替えを持って来い!」

ハッチが開き、中に入ると整備士のチーフらしき男の怒号が辺りに響いていた。
しかしこれも日常なのだろうか、周囲はそれに気を留めることもなく、せかせかと各自の作業をこなしている。
只一人、怒られたらしい整備士が一礼すると急いでその場から去って何かを取りに行ったようだった。
やれやれと、そのチーフが肩を揺らすと、その視線の先に少年2人が入り口に立っているのが見える。
あぁ、と用事を思い出し、2人の方へと歩みを向けた。

「…すみません。何だか恥ずかしい所を見られちゃったみたいで。」

いくら日常茶飯事と言えども、整備に関しては部外者の2人に見られたのだ。
チーフは一礼しながら、2人に挨拶をする。

「あ、いえ…。」

先に答えたのはアスラン。
何だか見てしまった此方が悪いことをしてしまったような気になって、言葉が続かなくなってしまう。
しかしそれをフォローするかのように、今度はキラが答えた。

「気にしないで下さい。それぐらい念入りに機体を整備して頂けて、実際に搭乗する僕達としても安心して動かせます。」

「ありがとう。そう言って頂けると、体を削ってでも整備する甲斐があるというものですよ。」

持っていたファイリングで疲れた肩を叩きながら、チーフが笑顔でそう答えると、2人もまたつられるようにして笑った。
と同時に、自分の口下手振りに呆れつつ、キラのこういう場の切り抜け方の上手さを素直に尊敬してしまう。
すると、チーフが思い出したように「こちらへ」と2人を案内した。

「今日お2人は非番の日だと聞きましたが…すみません。どうも我々だけでは手に負えない面も多々ありまして。」

ZGMF-X10A フリーダムガンダム。ZGMF-X09A ジャスティスガンダム。 
2人が今手にしている剣は、それ程の機体、ということだった。
只でさえ地球軍(更に詳しく言えばモルゲンレーテ社)が開発したGの最新型にザフトの最新技術が施され、尚且つ2人が新たに構築したOSも入っているのであれば、並みの整備士では取り扱えないのも仕方がないことである。
だが、もちろん整備なしに戦局を制することは出来ない。
”仲間”として動き始めて数ヶ月、幾度と無く戦いを潜り抜けてきたが、それは互いの力があってこそだということを皆が分かり合っていた。

「いえ、俺達で出来ることなら協力させて頂きますから。」

「だから何かあったら遠慮なく言って下さいね。」

誰もが認める実力の持ち主である2人のこの言葉は、チーフはおろか周囲で何気なく会話を聞いていた他の整備士に安心とやる気を与えるのに充分だった。
皆、連日連夜の勤務で疲労は溜まりつつも、えいや、と体に鞭を入れて作業に向かう。
その姿もまた実に頼もしかった。

「それと昨日お預かりしたOS修正の件。何とか完成することが出来たので確認をお願い出来ますか?」

OSとはもちろん、昨夜アスランが夜更けまで掛かって作業をしていた仕事のことである。
これに驚いたのはチーフだ。
思わず、差し出されたMOとアスランの顔を交互に見入ってしまう。

「え。まさかあれを1日で完成させたのですか?3日でさえ早いぐらいだと思っていたんですけど…。」

「この状況下ですから、出来る内に出来ることを、と思いまして。もちろん確認はそちらの都合の良い時で大丈夫ですから。」

さわやかに笑いつつ、MOを差し出す少年にチーフは頭が上がらなかった。
幾ら今日が非番と言えども、前日は同じ様に仕事をこなしている訳だし、当然パイロットであるから日々人並み以上の精神的なストレスを抱えている筈。
それを人が早くて3日掛かる所をわずか1日でこなしてしまう実力とその姿勢に、改めて彼の力、人柄を考えてしまう。
…出来るなら整備士としても欲しいくらいだ。

「いや、すぐにでも確認させて頂きますよ。せっかく時間をここまで削ってやってくれたんだ、それに答えるのが此方の仕事です。」

職人の腕がなる、というか。
最新の機体の整備を任されたあの日の興奮と感激を今、再び思い出していた。

「すみません、ありがとうございます。」

しかしそんな整備士の心の内を知らないアスランは、何だかこちらがまた無理をさせてしまったような、またバツの悪い気になってしまう。
その瞬間の表情を見たキラが、やれやれと隣で苦笑した。

「お礼なんて……。むしろ後ろのバカ共に言わせてやりたいぐらいですよ。先程からミスをしてばかりで…」

はは、と困ったように笑いながらぐいっと親指で後ろにいた他の整備士達を指すと、まるでタイミングを見計らったようにその方向から大声でチーフ整備士の名前を呼ぶ整備士が走ってきた。
どうやら先程一度現場を後にした整備士のようである。
その場にいた者全てが、何事だと言うようにその整備士を視線で追った。
顔面蒼白のその男は、チーフの元の側で止まると、一度大きく呼吸をしてから口を開いた。

「た、大変です!ミーティアの補修をしている班から、何らかの原因でジャスティスとの接続に不備及び主電源も機能しないとの緊急伝達有り!至急此方に来て頂きたい、とチーフに緊急要請が来ました!」

息も切れ切れに、ひとしきり報告すると、ぴっとその整備士は敬礼をし、チーフの言葉を待った。
呼吸を整えるように、胸を何度も上下させている。
キラとアスランは顔を見合わせ、チーフの表情は一気に強張った。

「何だと?!先日の戦闘では何の不備もなかったじゃないか?!」

「自分も…自分にも正確な判断は出来ません。只、先の戦闘でミーティア内部及びプログラミングに一部破損箇所があるかもしれない、との情報です。」

一部破損…その言葉にアスランの眉がぴくりと動く。

「…分かった。この戦時下だ、いつ戦闘が再開されるか分からん。すぐそちらに向かうと、そう伝えておけ。」

「はっ!」

再びぴっ、と敬礼をすると、整備士はくるりと体の向きを変えてそのまま元来た方へと走っていった。
その姿を確認しながら、チーフからも深いため息が漏れる。

「…仕事とは、なかなか上手くいかないものですね。」

では、と2人に一礼してから先程の整備士を追い掛けるように走り出すと、突然その足を1人の少年によって止められた。
アスランの声だった。

「…あの!自分にも手伝わせて頂けませんか?」

「え…?」

その言葉に思わず振り返る。
と、少年の熱い真っ直ぐな視線が刺さった。

「…ってアスラン?!」

しかし何より驚いたのはキラだ。
アスランの生真面目さも、世話焼きなところも分かってはいたし、そういう部分は素直に尊敬していたが、ここまでくると話は別だ。
第一、自分の用に付き合ってもらうために、こうして朝も起こしに来た訳だし。
だがぐい、っと肩を掴もうと腕を伸ばそうとしたが、既にその場にアスランの体はなく、当の本人はすたすたと整備士の方へと歩いていた。
あちゃー、とキラがすかした腕を戻してそのまま自分の顔を覆ってしまう。

「自分の機体ですから。不具合があるならそれ相応の責任も自分にあります。」

ごもっともな意見ではあるが、キラは思わず耳も覆いたくなった。

「いやでも…今日は非番なんでしょう?パイロットの貴方が休まなくては…」

「ご心配には及びません。昨日の内にゆっくり休んでおいたので。」

…普段口下手な男がよくもまぁ、そんな嘘を。
今朝のアスランの様子を思い出しながら、キラは塞がりきれていない耳から聞こえるアスランの言葉に悪態をつきまくっていた。
もうこうなったアスランを止める術はない。

「…あまり無理はされませんように。機体を遊ばせることになっては元も子もないですから。」

「はい。それでは…」

「えぇ、此方です。」

整備士に案内され、アスランはその後ろを付いて行く。
キラは2人を黙って見送っていた。

「あーあ…あの2人に何て言おう…。」

せっかく朝から準備をしていたのに、当の本人がこれではどうしようもない。
特にカガリの今朝の様子を考えると、随分楽しみにしていたようだった。
それはもう、まるで自分が誕生日を迎えるのだと言うよなはしゃぎ振りで。
一方ラクスはラクスで、静かに、無重力ではない何かの力によってふわりと綺麗な髪の毛が浮き上がりそうである。
普段こそ穏やかで柔らかいオーラを纏った彼女ではあるが、一度だけ、たった一瞬だけキラはその様な光景を目撃したことがあった。
彼は…確かダコスタ、と言っただろうか。赤褐色の肌がこれでもか、と言う程青白くなっていたので、それはもう強烈に、そして鮮明にキラに頭に記憶されたのである。
…つまり、アスランによって自分がその対象になる可能性がある訳だ。
朝といい、これといい、今日がアスランの誕生日ではなかったら自分の中でも何かが弾けていただろう。
一度深く深呼吸すると、我慢、我慢…、と自身に言い聞かせながら、2人の姫に会いに行くべくその場を後にした。

「僕の誕生日の時は今日以上にワガママを聞いてもらうからね。」

覚悟しててよ、と閉じられたハッチに向けてキラは指で銃を真似ながらバン、と見えない弾丸を放った。






少女達の楽しい笑い声。
戦火の中では到底似つかないそれは、クルーにとって心休まる一時の癒しだった。
それを今……自分が壊そうとしている。。

ハァ、と今日何度目か分からない溜息を吐くと、キラはカガリ達がいる部屋のブザーを鳴らした。

「あ、キラだ!やっと来たぞ!」

「ふふっ。お待ちかね、ですわね。」

既に部屋にはアスランを祝うべく、いつもよりも豪華なお茶とお菓子が用意されていた。
無論これはラクスからのささやかなお祝いの気持ちも込められている。
今回はそれぞれの得意な分野で何かをやろうと、忙しい合間をぬって2人の姫は今日まで計画していたのだ。
先程作った小瓶をジャケットのポケットに入れ、後は本日の主人公の到着を待つのみ。
それがやっと来たのだから、気分は緊張と興奮でいてもたってもいられなくなってしまう。
では、とラクスが鍵を開錠してドアを開けた瞬間、その緊張は一気に高まった。

が。


「あ…れ?」

ドアの前に立っていたのはキラ一人。

「キラ…だけ?」

愕然とした表情を見せるカガリを見て、予想はしていたとしてもキラの胸は痛むばかりだ。
ラクスも驚きを隠せないでいる。

「どういうことですの?」

あぁもう、説明するのも億劫になってしまう。
しかし話さなければ更にややこしいことにもなる。キラはとりあえず部屋に入れてもらい、事の次第を話し始めた。

「…つまり。アスランは自分の誕生日を忘れただけではなく、キラの用事もすっぽかした。そういうことですわね?」

ひとしきり話を聞いた二人から、先程のキラのような重い溜息が漏れる。
気のせいだろうか、ラクスの髪が一瞬ふわりと浮いた。

「あの馬鹿!普通自分の誕生日を忘れるか?!人が知らないような工学用語とか専門用語は無駄に覚えているくせに!」

カガリが言う専門用語とは、恐らくアスランの得意とする電子工作のことだろう。
一度ハロならぬペットロボットの作り方を教えて欲しいと頼んだそうだが、実際は以前のキラと同じ末路になった、とのことだった。

「アスランはね、昔から興味があることにはとことんのめり込むんだけど、反対に興味がないものはとことん興味を示さないんだ。」

案の定怒りを露にしたカガリに、キラは改めて説明をした。
もちろんそれだけではカガリの怒りは収まりそうにもないけども。

「そういえば以前もありましたわね…。私がお誕生日の日にお家にお伺いするまで、ご本人がまるで自分の誕生日だと気付いてらっしゃらなかった、ということも。」

「…ってことはあいつ、軍人になってからじゃなくてその前からも自分の誕生日を忘れるようになった、ってことか?!」

「…おそらくは…。。」

うーん…、と頬に手を添えながらラクスも唸る。
考えてみれば去年も、その前も確か同じようなことが起きてはいなかっただろうか?
普段貰っていた花束のお返しに、と彼の大好きな工具をプレゼントしたが、最初は何事だと本気で驚かれた気がする。

「すみません。私も浅はかでしたわ。以前にもこのようなことがあったと、お2人に伝えず…」

しゅん、とラクスが顔を俯かせると、それを見たカガリがようやく怒りのボルテージを下げて今度は慌て出した。
アスランに怒ったつもりが、これではラクスに八つ当たりているようである。

「い、いや!ラクスが謝ることじゃないんだ!その…私もかなり舞い上がっていたし、何よりアイツの性格、全然分かってなかったし。。」

一度怒りのボルテージが下がると、不思議と思考がそのままマイナス方向へ行ってしまう。
考えてみたら、この場でアスランとの付き合いが最も短いのは自分だ。
その自分があぁだ、こうだと言えるのだろうか?第一忘れているとしても、何か理由があるのかもしれないし。
何も知らない自分が彼を責めるに値するのか、それさえも分からなくなってきた。

やがてだんだんと部屋の空気が重くなってきた頃、説明後ずっと黙っていたキラがようやく口を開いた。

「…謝るなら僕の方、かな。アスランを連れて来れなかったのもあるけど、僕もラクスと同じ経験を昔していたんだ。」

----ラクスと同じ。
やはり自分だけが2人が共有した時間、事柄を過ごせていない事に心がずしんと重くなる。

「ただちょっと続きがあってね。これは…そう、僕達が幼年学校にいたぐらい、かな。僕とアスランが友達になって初めて迎えたアスランの誕生日の話。」

「初めての…誕生日?」

「うん。アスランは忘れちゃってるかもしれないけどね。」

カガリの問いに、にっこりと笑いながらキラは答えた。
そして続けていく。

「あの日、アスランは……」


淡々とキラから聞かされるアスランの話に、眩い琥珀の瞳は大きく見開かれた。







「…おい!どこだ!問題の連結部分の箇所は!」

ここ、ミーティアが整備されている格納庫はその大きさ故にほぼ宇宙空間と同じ様に酸素が供給されていない。
つまりここでは皆が酸素供給スーツを着用してでの作業になるのだ。
アスランも専用のスーツに着替え、チーフの後に続いて現場へと向かう。
思わぬパイロットの登場に整備班は驚いたが、同時に皆がアスランの実力をかっているので喜んで迎えた。
改めて挨拶を終えると、さっそく作業に取り掛かる。

見た目はほとんど深い傷もなく、何事もないようだが電源の入り具合からするとかなり重症のようだ。
ドクターチームと呼ばれる問題解析を専門とする者達とある程度の原因予測を立てると、それを元にアスランはプログラミングの方へと廻された。
記憶と資料によるジャスティスのOS設定を元に、改めてミーティアのOS構築を調べる。
一つでも双方の間でズレが生じれば、まさに命取りだ。
根気のいる作業ではあるが、自分はもちろん皆の命が掛かっているのだから弱音を吐いている時間もない。
スーツ着用という慣れない状況下で、アスランは着実に作業をこなしていった。

それから2時間後。
予想よりも早く原因解析が終わり、ついにミーティア本体の主電源問題が解決した。
とりあえずこれでいつ戦闘が起きてもエターナルを守ることは出来る。
残りはジャスティスとの連結の不具合のみだが、これもアスランをはじめとする整備班の地道な作業の結果、どうにか間に合いそうだ、ということだった。

「…それでは俺は一度ジャスティスに乗って、きちんと連結するか確認を取ります。念のために。」

とりあえずの作業を終え、酸素がある休憩室で各人が休憩を取る中出し抜けにアスランが言った。
2時間とはいえ、酸素供給の中での作業は通常の倍以上疲労を伴う。
まだやるのか、とその場にいた全員がアスランを見た。

「あぁ、お願いします。一応データ上ではOKサインを出したいんですけど、やはり人の手ですから安心は出来ないもんで。」

申し訳ないとは思いつつも、こればっかりはアスランに頼むしかない。
命という重さを軽々と天秤には掛けられないのだ。

「はい。分かりました。」

アスランは軍での与えられた仕事をこなすように、疲れも不満も何も見せることなく、その場を後にした。

「…お前らもあれぐらいガッツがあればいいんだけどなぁ…」


ちらっと横目に視線をずらすと、他の整備士は誰もチーフとは目を合わせようとはしなかった。


…一方その頃。
キラの話を一通り聞いたカガリは、思わず部屋を飛び出していた。
途中に出会ったディアッカにぶつかりそうになったが、きちんと謝る暇もなく艦内を走り続ける。
…とは言っても無重力状態なので、走る、と言うよりは必死に加速をつけて流れに身を任せるしかないのだが。
 
「どこにいるんだよ、あいつは…」
 
 
慣れない艦隊で、慣れない動きをしながらカガリは必死に深い藍色の髪をした彼を探していた。
 
 
 
 
---お父様。
 
---そう呼びながら両手をばんざいすると、父は私よりも何倍も大きくて温かい手で私の体を持ち上げてくれた。
 
---「また、重くなったな。カガリ。」
 
---歳が1つ増えるたびに、父は笑いながらまた高く私を天に向かって持ち上げてくれる。
 
---父と同じ目線から世界を見る。いつもは見えないものがたくさん見れる。
 
---だから早く父の目線に追いつきたくて、次の誕生日が待ち遠しくて仕方が無かった。
 
 
-------なぁ、アスラン。
 
----お前もそうだったんだよな?
 
 
 
 
 
 
 
 
「え?」
 
思わず、耳を疑った。
微笑みながら話すキラは、何故だか酷く寂しそうに見える。
それは…そう、話の中で出てくる一人の男の子の表情ををそのまま写しているかのように。
 
「…アスランはね。誕生日の当日、たった一人で過ごしていたらしいんだ。ずっと…ずっと…。」
 
ずっと…。
その言葉がやけに重く聞こえる。一体彼はどんな気持ちで過ごしていたんだろう…?
まだ幼い自分が家族はもちろん、友人や学校の先生に誰にもお祝いされることなく、只その日を過ごしていたら…。
ずきん、と胸が圧迫されるような痛みが走る。
 
「その日がたまたま休日だったのもあるんだけどね。しかもお父さんは単身赴任、お母さんは休日も返上しちゃうくらい多忙な研究職員。で、あのアスランでしょ?幼くても物分かりは良かったから、それが当たり前だったんだ。」
 
「あた…り…まえ…。」
 
自分でキラの言葉を復唱しながら、再び胸が苦しくなる。
当たり前、って何だろう?普通?
でも、これの何が普通なんだ?
 
明らかに絶句した表情を見せるカガリに、キラはこれ以上話すべきかどうか一瞬だけ悩んだ。
第一アスランの過去に触れる訳だから、勝手に自分がそれらを全て晒す訳にもいかないだろう。
今更と言えば今更だが、これはアスラン自身の過去だ。
他人に自分の過去を知られた上、更にはそれに関して勝手な価値観、感情を抱かれては何より本人が嫌悪感に襲われるだろう。
しかしこの2人には…特にカガリには知る必要があることだと、キラは判断した。
カガリなら何か…自分には出来なかった何かをアスランにしてあげられるんじゃないかと。
だから、続けて言葉を紡ぐ。
 
「でもアスランのお母さんやお父さんもアスランのこと、とても大事にしていたんだよ。忙しい中でも何とか家族の時間を作ってあげようとしていたみたい。…誕生日の当日もね。」
 
「え、それって…!」
 
思わぬキラの言葉に、少しだけ「希望」という名の焔がカガリとラクスに宿った。
…このままではますます胸が苦しくなりそうで。
だから、その続きの言葉には耳を塞ぎたくなった。
 
「只…間に合わなかったんだ。」
 
「え…。」
 
「アスランのお母さんがね、何とか仕事を終わらせて9時過ぎぐらいに帰って来たんだけど…間に合わなかった。」
 
キラの声が、明らかに低くなった。
きっとあの状況を自分もどうにかしたかった、そんな想いも含まれていたのだろう。
状況がはっきりと見えないとはいえ、キラがそこまで感じる真意をカガリは更に知りたくなった。
 
「どういう…ことだよ、キラ…。」
 
「真っ暗なリビングで一人、目を泣き腫らしながらソファでアスランが寝てたんだって。あのアスランがだよ?ほとんど泣き疲れて寝ちゃったような…それぐらい、目が腫れてたみたい。」
 
「そんな…。」
 
既にカガリからアスランへの怒りなど微塵もなかった。
否、先程の自身の感情を恨めしいとさえ思った。
やはり何も分かっていなかったのだ、自分は。
 
「アスランのお母さんはそのままアスランを抱き上げて、自分のベットで一緒に寝たらしいよ。いつ息子が起きてもいいように、ずっと隣で起きてた。でもアスランはその日、目覚めることはなかった。」
 
それは、それぐらい泣き疲れてしまったということ。
むしろ自ら目覚めることを拒んだのかもしれない。
 
カガリも、少し前にそんなことがあった。
そう、あれはオーブを発つ時。まさに父との最後の別れの日だ。
泣いて、泣いて、泣きじゃくって。もう決して触れることが出来ないあの温かい手を、カガリは泣きながら捜し続けていた。
そうしていつの間にか寝てしまったのである。
疲れてしまった、というのもあるが、いっそのこと寝てしまった方が楽だったからだ。
…何もかも、忘れてしまえるような気がして。
そして目覚める頃には、全ては只の悪い夢だったんだよ、と誰かが教えてくれると信じていた。
 
だが当然、カガリが見た物、聞いたもの全てが真実で。
そこにはもう現実を受け入れるしか道がなかった。
再び泣きそうになるのを何とか止めようとしても、カガリの意に反して止めどなく涙は瞳から溢れてしまう。
今こそ、そのようなことは少なくなったが、それはアスランやキラやラクス、皆が自分を支えてくれたからである。何より大切な仲間達が。
しかしアスランの場合、その時何より欲しかった温もりは手に入れられることが出来なかったのだ。
 
「…それからはね、アスランは誕生日っていうのを極力意識しないようになったんだ。本人は気付いてないけど、多分自己防衛みたいなものが働いてるんだと思うよ。」
 
「…自己防衛……。」
 
「ここからは僕の予想だけどね。アスランは頭が良いから、子供ながらに感じたんだと思う。誕生日を楽しみにしていた自分が恥ずかしい、そして嘆く自分が情けないって。」
 
子供だけではない、大人でも当たり前の感情をアスランは自ら否定してしまった。
決して家族を責めることをなく、只自分の弱さ、幼さ故の事なのだと。
ここで母に対して泣いたり、喚いたり、怒鳴ってでもした方が楽にはなれるだろうが、アスランの中でそのような選択肢はあるはずがなかった。
大好きな母を悲しませたくなくて。
 
「……やっぱり、馬鹿だ。あいつは……。」
 
馬鹿がつくぐらい、真面目で優しい奴。
確かに数回だけ、アスランが泣いているのは見たことがあるが、滅多に自分の感情をぶつけるようなことはしない。
カガリはそれが自分に対するアスランの壁なのだと酷く寂しい思いをしていたが、それは壁ではなかった。
もしかしたらアスランなりの、カガリへの優しさだったのかもしれない。
 
すっと、腰掛けていたベットから立つと、それを自然な流れだというように静かに見守るキラとラクスに向き直った。
 
「私、行くよ。」
 
「…行くとは、どちらへ?」
 
終始沈黙を続けていたラクスが、先程の雰囲気とは打って変わって穏やかに言葉を出した。
無論、このような問い掛けも意味を成さないのも承知の上だが、どうしてもカガリの口から確かめたかったのだ。
 
「あいつ…アスランの所。やっぱりこのまま今日という日を終わらせる訳にはいかない。」
 
今の自分に何が出来るか、なんて考える時間もない。
本人は気付いてなくとも、カガリは未だにあの時の小さなアスランが泣いているようにしか思えなかった。
何も出来なくても、出来ることを探さなくては、決して何かを成すことは出来ない。
だから自分は動く。
 
「じゃあ、また後でな。」
 
入口で振り向き際に2人に挨拶をすると、キラとラクスはそれを笑顔で返した。
扉が閉まるその瞬間まで、カガリの背中を見送る。
 
「……カガリなら、アスランがずっと欲しがっていたものをあげられると思うんだ。」
 
完全に閉められた扉を見つめながら、キラは静かに言った。
太陽のように明るく、温かい彼女なら何かが変わるのでは、と。
 
「そうですわね。カガリさんなら、きっと……。」
 
ラクスもキラ同様、扉から視線はまだ外せないでいた。
只、今度こそアスランが笑顔でこの扉を開いてくれることを願って。……カガリと一緒に。
 
 
 
 
 
季節はもう木枯らしを伴う時期になっていた。
最近朝が少しだけ辛い、と思うようになったのは気のせいではないだろう。秋の終わりが近い証拠だ。
しかし今日に限っては心地よい程、全てが温かい。
まどろんだ意識の中でその温もりは確かに感じられた。
むしろ目を覚ましてしまうのが怖いくらいで------。。
 
『…ラン』
 
どこまでも優しい、そして何故か悲しを帯びた声。
その声に呼ばれて、今度こそ意識を覚醒しようとした。
重たい瞼を開け、ゆっくりと顔を声の主に向ける。
 
『…は……は…う…』
 
見上げると、そこには大好きな母の笑顔…ではなく、琥珀色の瞳が揺れていた。
 
「アスラン!」
 
今度ははっきりと自分を呼ぶ声が聞こえる。それも母とは違う、聞きなれた声で。
もう一度ゆっくり瞬きをするが、確かにそこにはカガリがいた。
それもかなり近い距離で、だ。
カガリの瞳に自分の姿が映るほど顔を近付けていた、ということにアスランが気付くのはこの少し後である。
 
「やっと起きたな!散々探し回ったんだぞ?」
 
そんなアスランを余所に、ふんっ、と不満そうに腕を組むとカガリはようやくアスランとわずかに距離を取った。
寝惚け眼だったアスランがやっと起きたことを確認したのだろう。
只、距離を取ったとはいっても、ここはジャスティスの中だ。元々1人で操縦するように出来ているのだから人2人が入るとなると、やはり狭くなる。
つまりカガリが距離を取ったといっても、至近距離には違いなかった。
 
「…って、何でお前がここにいるんだ?クサナギは?キラ達は?」
 
自分が今の今までジャスティスのコックピット内で寝ていたということにも驚いたが、それよりも何故カガリがここにいるのか理解が出来ない。
第一自分は仕事中の筈だった。
その作業中に寝てしまう自分も自分だが、カガリが今この場にいる理由が到底見当も付かない。
しかもこの距離は…自分にとってもかなり都合の悪いものである。
 
「聞いてなかったのか?キラから今日は私がこっちに来ること。」
 
「…あ、そういえば…。」
 
今朝そんなことを聞かされていた気がする。
仕事に夢中ですっかり抜けてしまっていたらしい。いつもなら仕事中でも、彼女を視線で探してしまうのに…。
何だって今日は色々と上手くいかないのだろうか。
 
「すまない。キラからちゃんと聞いてたよ。カガリがこっちに来るって。…それより用は済んだのか?こっちに来るってことはそれなりの用があったんだろ?」
 
「あ…」
 
言って、しまおうか。
ここで全てを。今までの全ての計画、そしてキラから聞いたアスランの過去の話を。
今日はお前の誕生日だから。そう告げてしまえば、全てが済む。おめでとう、って一言伝えればカガリの任務は半分果たされたようなものである。
だが、カガリはアスランの答えではなく、別の言葉を口にした。
 
「お前はさ…さっきまで、何の夢を見ていたんだ?」
 
「え?」
 
「ついさっきだぞ。その…少しうなされていたようだったから。」
 
気遣うような、そして慈愛で溢れるカガリからの上目線にアスランは言葉を失くした。
否、次に出す言葉を捜したのだ。何故だか彼女に知ってもらいたいという気持ちはあっても、言葉をうまくまとめられない自分がいる。
作戦会議等ではすらすら難しい単語や、頭で考えた作戦を上手い具合に言葉にして説明出来るが、自分のこととなるとそう上手くいかない。
自他共に認める口下手である自分を何度恨めしいと思ったことか。
だが、不思議と目の前の少女の前では口をつぐむことはなかった。
ぽつり、ぽつり、と静かに、そしてゆっくりと、1つの記憶を噛み締めるように紡いでいく。
 
「…いつ、だったかな。朝、ふと目が覚めると、母が隣で添い寝をしていたんだ。そして何故だか俺は瞼がやけに重たかった。腫れているというか…」
 
「え?」
 
カガリの心の中で”まさか”という3文字が浮かんだ。
何の因果だろうか…。いや、今日と言う日だからこそ、もしかしたらアスランはあの時のことを夢によって思い出していたのかもしれない。
キラから話を聞いたときと同様、ぎゅっとカガリの胸を何かが締め付けた。
 
「あ、もちろんいつも一緒に寝ていた訳じゃないぞ?むしろ1年に1回あるかないか…。まぁ幼年学校の時だからな。」
 
特にこちらは何も言ってはいないが、マザコンと勘違いされたくなかったのだろう。
もちろんカガリはそのように捕らえたりはしないが、アスランは冗談めかしに付け足した。
 
「それで?続きがあるんだろう?」
 
「…あぁ。ここからは夢か、記憶なのか曖昧なんだが。瞼を何とか開けて、顔を見上げると母がとても穏やかに…そして寂しそうに笑ったんだ。」
 
今度はアスランが、まるでその時の母を思わせるように切ないくらいに、どこか寂しい笑顔をカガリに向ける。
心臓が揺れた気がした。
キラはアスランは母親似だと言っていたから、きっと実際このような表情だったのだろう。
カガリの胸がまた、ぎりりと軋んだ。
 
「どうしてそんな顔をするのか、って聞いたら、母はただ謝るばかりで。そしてただ抱きしめてくれた。」
 
きっと小さなアスランを抱くことは簡単だった。しかし母親にしてみれば、それはある意味酷なことではあった。
不思議と、カガリにもその時の光景が目に浮かぶ。
何故だかアスランの母親の気持ちまで心に流れ込んでくるようだ。決して責めることなく、それどころか自分の案じてくれる息子を前に母親はどんな気持ちでいたのだろう。
 
「でも俺は…どうしても母が謝る理由が分からなくて。それどころか自分が何か謝らせるほど悲しませることをしたのかと思ってさ。…結局母が謝る理由は見つからなかった。」
 
つまらない夢だろう?と、アスランはカガリに微笑みながら話を終えた。
実際そうだと思っていたからだ。これは自分のことであり、カガリにとっては何の面白みのないアスランの過去の話である。
しかし、カガリの表情を見てぎょっとした。
 
一筋の涙がカガリの頬を伝ったのである。
 
「お、おい。どうしたんだよ、カガリ。目にゴミでも入ったのか?」
 
いよいよぽろぽろと涙を零すカガリに驚いたアスランは、とっさに両手で優しく涙を拭っていた。
その優しさにカガリの涙は更に落ちていく。
 
「ほんとにどうしたんだよ。目が痛いならすぐに顔を洗って…」
 
そう言って、カガリをコックピットから連れ出そうと腕を掴んだ時。
その腕を華奢な腕が更に掴んだ。
 
「…ち……違うんだ…アスラン。そんなんじゃない。」
 
わずかに震える肩の主から発せられた言葉もまた、少し震えていた。
アスランの動きが止まる。
 
「何でだろう。その時のお前のお母様の気持ちを感じるような気がするんだ。」
 
立場も身分も全然違う。アスランの心の中に自分が占める割合など比べるまでもないだろう。
第一会ったことも見たこともないアスランの母親の気持ちなど、自分が分かる筈もない。
しかし涙が込み上げて仕方がなかった。胸が苦しくて仕方がなかった。
きっと母親は息子に寂しい思いをさせたことを悔いたに違いないだろう。そしてそんな自分を心から愛し、案じてくれる息子を息子以上に愛しただろう。
それ故の謝罪、そして涙することを耐えたのかもしれない。これ以上愛しい我が子を不安にさせたくなくて。
 
いつの間にかカガリの心に目の前の少年の不器用さと優しさが、心に染み渡っていた。
それが何故だかカガリの涙腺を弱めて仕方がない。
あの時母親が伝えられずにいた言葉を、代わるようにカガリが切なげに発する。
泣き疲れるまで泣きながらも尚、母を心配する幼い頃のアスランは今も確かにここにいるのだ。
だから、届いて。
 
「お前が生まれてきてくれて、本当に嬉しいって。そう伝えなきゃって。」
 
そして無重力に助けられるように、とん、と足で壁を蹴ると、アスランを包むように抱きしめた。
 
ぎゅっと力を込められた腕の中で、アスランはぴくりと体を動かす。
ふわりと香るカガリ独特の良い香りが一瞬にしてアスランの周りを包んだ。
最初は突然の抱擁に動揺を隠せなかったが、やがて広がる安堵感と共に自身もカガリの背中に腕を回していく。
目をゆっくりと閉じ、頭をカガリの肩にこてん、と預けると、何も言わずともカガリの腕の力は一層強まる。
何故だろう…ひどく心地が良い。
服の上からでも一定のリズムで互いの鼓動を感じ、また温もりを得ていた。
いつだったか忘れてしまった、あの温もりを。
 
「…誕生日おめでとう。アスラン」
 
心地の良いアルトの声が、アスランの元に降ってきた。
はっとしたように、アスランの目が見開かれる。
カガリにはアスランの表情は見えなかったが、いつかキラにやってみせたように、よしよし、と優しくアスランの背中を撫でてやった。
 
「私にはアスランのお母様のようにお前を抱くことも出来ないが…。お前が生まれてきてくれて嬉しいっていう気持ちは一緒の筈だ。」
 
カガリは先程のアスランのように、何かを確認するかのようにゆっくりと口を開く。
アスランはそれを只無言で聞いていた。
 
「だから、アスラン。」
 
ようやく腕の力を緩め、体を少し引くと、アスランの視線と重なった。
アスランがこちらを見上げたのだ。
やや一呼吸置いてから、それまでの泣き顔が嘘のような眩しい笑顔を咲かせる。
 
「私はお前にも、アスランが生まれてきて良かったと思って欲しい。誕生日とはそういう日なんだぞ?」
 
「カガリ…。」
 
何て、眩しくて。
何て、温かい人なのだろう。
 
いつもは無機質な色で覆われているはずの愛機に、1つの花が確かに咲いている。
決して摘むことが許されない、凛として、力強く、何色にも染まらない花。
その花を摘みたい、と思う自分には当然罪が科されてしまうのだろうか?
 
アスランは苦しそうに顔を歪めた。
 
「俺には……もうそんな資格なんてないんだよ。家族には感謝している、もちろん。だが……生を奪い続けている自分の生を祝う気には……。」
 
「じゃあアスランの生を祝う者達の気持ちだけでも受け取れよ。確かに生を奪うことは…許されたことではない、決して。でも、だからこそ生の尊さを知っているんだろう?お前自身が。」
 
「それは…」
 
「皆一緒さ。…戦争している限りはな。だから大事にして欲しい、お前の生を。お前の生を大事に思う人達を。」
 
やはり、一輪の花は力強かった。
父譲りの太い信念と厚い温情を瞳に湛え、アスランの心臓を容易く貫いてしまう。
どんなに雑草を取り除いても、どんなに良い肥料を与えてもこんなにまで美しく、力強い花はそうは咲かない。
アスランは少し離れてしまったカガリの体を今度は先程よりも強く引き寄せた。
そして花弁に指先を優しく這わせるように、カガリの背中に腕を回す。
もう離れないように、今度こそ力を込めて。
 
「カガリも…俺の生を大事に思ってくれるのか?」
 
また、あの切なくて苦しそうな声だった。
声を出すことも許されないかのように抱きしめられ、先程とは打って変わって体を固めてしまうカガリの体から、ふ、と力が抜けた。
アスランが顔を見られないように、自分を胸に押し当てるように抱いた理由が何となく分かる。
 
「お前、やっぱり馬鹿だ。」
 
胸元から聞こえるカガリの声は、どう考えても呆れが混じっていた。
 
「え…」
 
とても質問の答えだとは思えない答えに、今度はアスランが拍子抜けする番である。
思わず腕の力を緩めてしまうと、それを確認したカガリが、ぐいん、とアスランの瞳を覗き込む。
さっき起きた時よりも大分カガリの顔が近い。
 
「カガ…」
 
「さっきも言っただろう?私はお前が生まれてきてくれて嬉しいって。第一そう思わない奴のところにわざわざこうして出向くか!」
 
アスランに抱きしめられていなかったら、きっとカガリはふんぞり返っていただろう。
しかしそれが出来ないので、表情で目一杯表現する。
だが、アスランの意図はそれとはどこか外れていた。
 
「…って、つまりそれは…俺の誕生日だから来てくれたのか?わざわざエターナルに?」
 
「そんなことに今更になって気付くから馬鹿だって言ってるんだよ!な、何度も言わせるな!」
 
いい加減、カガリも自分の気持ちも汲んで欲しかった。
もちろん本心を言ったことに違いはないが、後から考えると、いや今考えても、自分がとんでもなく恥ずかしいことを言っているような気がしてたまらない。
アスランをお祝いしたい、アスランに会いたいかったのは当然そうなんだけど…。
しかしそれだけではない理由がアスランに分かってしまいそうで居た堪れないのだ。
上手く言葉に出来ない、その理由が。
 
「…そうか。」
 
だが一方のアスランはと言うと、それだけ聞くと嬉しそうに笑うだけで何も語ろうとはしなくなった。
それが返ってカガリの羞恥心を煽る。
いよいよカガリがこの状況に耐えられないと、体を動かそうとしたその時。
アスランが再び、カガリの肩に頭を預けてきた。
ぱさりとカガリの顔にも、アスランの髪の毛が重なる。
 
「ア、アスラ…」
 
「少しの間だけでいいから…」
 
「な、何を言…」
 
「だって今日は俺の誕生日なんだろう?少しだけでいいから、こうさせてくれ…」
 
何だって、今それを言うんだ。ついさっきまで自分の誕生日を忘れていた奴が。
…しかも耳元で。熱っぽく。
それを言われてしまえば此方に反論する手立てがないことを分かって言っているのだろうか?
 
観念したように、アスランに聞こえるか聞こえないくらいの言葉で呟いた。
 
「…少し、だけだぞ。」
 
「あぁ…」
 
本人の了承を得たからか、髪の毛で表情は見えないけどアスランの声から何故か笑っているように見えた。
滅多に人に甘えることのないアスランだからこそ、余計にカガリの心を翻弄してしまう。
 
もしかしたら逆にこの体勢で良かったのかもしれないと、カガリは心の中で何とか高揚する気持ちを押さえようと必死に自分に言い聞かせていた。
今の自分の顔をアスランに見られては、もう2度とアスランと会えないような気がしたからである。
自分でも分かるくらい顔が熱いのだ。いくら鈍いカガリでも、それが只の風邪や熱ではないことくらい分かる。
体勢が体勢なのだから心臓の鼓動が落ち着くことはないけど、この茹だこのように赤くなっているであろう自分の顔はそれ以上に情けないことこの上ない。
 
そんなカガリの気持ちを知ってか知らずか、アスランは子犬のように従順に、そして甘え、それっきり何も要求をしてはこなくなった。
 
 
 
 
 
 
「お前、もしかして確信犯か?色々と。」
 
それから少しして、突然カガリが何かひらめくように口を開いた。
そこでようやくアスランも顔を上げる。
 
「何が?」
 
自分では独り言を呟いたぐらいの気でいたため、カガリは心臓が止まってしまうんじゃないかと思う程驚いた。
急にアスランが顔を上げて此方の瞳にまっすぐ視線を向けてきたからである。
 
「…いや、まぁ。うん…」
 
自分から聞いておいて、質問の内容もろくに説明出来ない。
アスランに限ってはそれはないだろうけど。否、そう分かっていたからだろうか?
しかしアスランだからこそ、策略というか…人の心理を人よりも読み、その上で行動することが出来ても不思議ではなかった。
コーディネーターの中でも頭の良い方なのだから、ナチュラルである自分から見たら手が届かない程の能力がある筈である。
戦略を考えるのもアスランの得意分野だそうだから、この手のことも朝飯前なのだろうとカガリは勝手に思い込んでいた。
それならそれでいい加減人の心を掻き乱すようなことをするのは遠慮したいものだけど。
第一、やってのけていたとしても天性ならば尚性質が悪い。
 
「…すまん、何でもない。」
 
きっと欲しい答えはないだろうと踏んで、カガリはそこでこの話を終えようとした。
が、アスランの方が何故か食い下がろうとしない。
 
「…何でもない、って。それ、キラにも言われたよ。今日。何度も。」
 
気のせいだろうか?
先程ではない何か…そう、何だかピリピリした嫌な雰囲気がアスランの言葉についてくる。
 
「そうなのか…。じゃあ何でもなかったんだな、キラも。」
 
しかしカガリからしてみたらそれしか言いようがない。
状況も何も分からないのだ。当然と言えば当然である。
 
「…やっぱり双子なんだな。お前達は…。」
 
溜め息混じりの声には明らかに苛立ちがこもっていた。
 
「は?何だよ急に…。私からしてみたらお前達の方がずっと本当の兄弟みたいだぞ?さっきだって”よしよし”ってしてやった時も同じ様な反応をして…」
 
危なっかしくてすぐ泣いていたキラ。
でも本当はすごく頼れてすごく優しい、いい奴。
だからカガリはほっとけなかったのだ。そういう意味でもアスランとキラはやはり似ている。
 
「…ちょっと待て、カガリ。お前はキラにもこういうことをやっていたのか?」
 
「こういうことって…まぁ、たまにな。今はあいつの傍にはラクスがいるからほとんど必要もないけど。昔は酷く落ち込んでいたりしていた時は、よしよし、ってやってたんだ。」
 
効果はお前も分かっただろう?
と、カガリは無邪気に、そして得意げに笑ってみせた。
 
「…やっぱり双子で良かったよ。お前たちが。」
 
呆れるべきか安堵すべきなのか。
どちらにせよ、良い気がしないことは確かである。
複雑なのだ、男心は。
 
「はぁ〜?何なんだよ、さっきから…」
 
しかし当の本人はまるでアスランの心情など気にも留めていなかった。
むしろ訳が分からない、といった方が正しいだろう。
キラとは双子。アスランとは大事な仲間…多分。そういう位置づけにして良いものかも悩むが、それにしたってアスランは今更何を言っているのだろう?
 
「あ、お前も兄弟が欲しかったのか?一人っ子だったんだろう?」
 
「そうじゃない。そうじゃないが…まぁ、いいさ。只しディアッカや他のクルーが落ち込んでいても、これからはそういうことをするなよ?その…よしよしってやつを。」
 
「…何で?」
 
「何でも、だ。」
 
未だにアスランがこの話題にこだわる訳は分からないが、とりあえずここまで念を押されては頷くしかない。
こく、と首を縦に振ると、アスランはようやく顔の力を緩めたようだった。
その顔を見て、カガリもそれ以上追求することを止める。代わるように、ぱっと頭に本日の重要任務が思い出された。
 
「あ!キラと言えばラクスと2人でお前を待ってるんだよ!ちょっとしたお祝い会をしようって!それなのにお前、空きの日なのに仕事したりこんなこ所で寝るから…だから私が探しに来たんだ。」
 
説明ついでに、キラがアスランに用事を投げ出されたと怒っていたことをカガリが告げると、アスランはやや時間を置いてから、あぁ、と思い出していた。
これでわざわざキラが自分を朝から起こしに来た理由が分かる。
自分は確かに了承したが、先に自分の用を済ますためにドッグへ来たら…色々と事が重なって今に至ってしまっている。
キラが怒るのも無理はないだろう。
 
「それは…確かに悪かったな。俺、すっかり忘れてて…」
 
「まぁ過ぎたことは仕方がないさ。それより早く2人のところに行かないと。きっと待ちくたびれてるぞ?」
 
「…そうだな。」
 
幸い、見たところ全ての作業を終えてから自分は寝てしまったらしい。
ジャスティスのチェックさえ終えれば、一応安心はしていいのだからこれ以上の仕事はない。
一応ぐるっと目で機内の状態を改めて確認したが、これといった異常もないようだった。
と、未だにアスランの体にすっぽり収まったままのカガリが、もじもじと体をよじっているのが分かる。
先程まであれだけ普通に会話をしていたのに、急に顔を此方に向けなくなってしまった。
 
「カガリ?」
 
心配そうに声を掛けると、明らかに動揺しながら体をびくつかせる。
顔は未だに下を向いたままである。
と、ぽそりと、普段の彼女の声よりもか細い声が下から聞こえてきた。
 
「……せ…よ…」
 
「え?」
 
これだけ声が小さければ上手く聞き取れない。
何?というようにアスランが首を傾けると、カガリは耐え切れなくなったように今度はアスランを見上げて叫んだ。
 
「い、いい加減もう離せよ!これじゃあ動こうにも動けないだろ!」
 
そのカガリの一言で、ようやくアスランはカガリが言いたいことが分かった。
つまりこれ、とは今している、これ、のことだろう。
アスランからしてみれば、今更だと一言で片付けられるのだが、こう初々しいくらいの反応をしてもらうと何だかからかいたくなってしまう。
 
「…さっきは自分から抱きついたくせに。」
 
「なっ…」
 
「…さっきはこうしててもいいって言ったくせに。」
 
「そっ…」
 
「もっとも、はじめに人の体に抱きつきながら泣いたのはどこの誰…」
 
「わー!!もういいー!!」
 
聞きたくない、と言わんばかりに両手で耳を塞ぐと、カガリはアスランでも分かるぐらい顔を赤くしながら両目をぎゅっとつぶった。
いつもは男勝りで少し口が悪い彼女だが、やはりこういう所は女の子らしいと思う。
こんな表情、他のクルー…いや、他の男なんかに見せたくないと、本能的に感じた。
 
「すまない、冗談だ。」
 
これ以上からかっては、姫のご機嫌を損ねてしまうかもしれない。
微笑みながら、両手でカガリの体を起こし、離すと、既にカガリは頬を膨らましているようだった。
 
「冗談にも程があるぞ。バカアスラン。」
 
「…ごめん。」
 
しかしカガリの表情からするに、そこまで怒っている、という訳ではなさそうだ。
相変わらず顔はそっぽを向いたままだが、行くぞ、とだけ言って、コックピットから出るようにアスランの手をカガリが引く。
その手はやはりとても温かかった。
 
いつもは気にも留めない、”外”の光。
只のドッグ内の蛍光灯の筈なのに…一瞬、機内から見上げた自分の手を引くカガリの姿を美しく照らしていた。
カガリの言う通り、命が無ければ、命の尊さを知らなければ、この美しさを見ることもこの温かさを知ることもなかっただろう。
 
引かれた手に少し力を込める。
 
「カガリ。」
 
「ん?」
 
引き留められた手に向かって、カガリが振り返った。
 
「ありがとう。」
 
何が、じゃなくて。
全てに対しての、感謝。
 
言葉足らずかもしれないが、どうやら彼女にも本意が伝わったらしい。
彼女にしては珍しく、少し恥ずかしそうに、はにかみながら笑顔を見せてくれた。
 
「…うん。」
 
 
 
 
 
 
 
 
--羽根のように軽く、何も残らない言葉だったと思っていた。
 
--どんなに綺麗な花束も、この日だけは上辺だけの美しさだと思っていた。
 
 
一体いつから、そんなフィルターを自身に掛けてしまったんだろう?
 
こんなにも温かい言葉を、
こんなにも美しい花を、自分は今手にしているというのに。
 
 
 
 
 
 
カガリがアスランを伴ってキラの部屋に入ると、キラとラクスの2人は喜んでそれを迎えた。
キラは今朝のことがあるので、若干アスランに小言を漏らしたが、アスランが謝罪する前には本人の気はすっかり良くなっていた。
詰まるところ、こうしてアスランが自らこのような場に来てくれたことが嬉しかったのである。
ある程度アスランの行動を予想していたキラは、当初から何かと理由をつけて只部屋に呼ぶつもりだった。誕生日会、ということは伏せた状態で。
きっとこの戦況下だから、なんて言って簡単に断られると考えていたのだ。
しかし…何があったのか…は、なんとなく想像はつくものの、こうしてアスランが来たというのは彼にとっても1つ前進したのではないだろうか。
 
やはりカガリに話して良かった、と思う。
 
「さぁ、それでは本日の主役の方がいらした、ということで始めましょうか?些細なお誕生日会を。」
 
2人の為に煎れなおした本日の紅茶のカップを手に、ラクスはふわりと立ち上がって言った。
心なしか、一人一人にお茶を注ぐラクスの手元が普段よりも軽い気がする。
彼女もまた、キラやカガリと同じ気持ちだったのだ。大事な仲間への、最大の祝福の意を込めて。
 
「…ありがとう。2人とも。」
 
やはり先程のカガリと同じく、何がと言わずとも2人にはその言葉に詰まっている多くの意が伝わったようだった。
その場にいる全ての者の顔が緩む。
 
「うん。アスラン、誕生日おめでとう。」
 
「おめでとうございます。アスラン。」
 
お誕生日会という名の本日のお茶会は、こうして和やかな雰囲気で始まった。
 
 
 
 
 
いよいよ時間にして夕刻を過ぎようという時。
キサカからの呼び出しもあって、カガリはクサナギへ戻ることとなった。
それに合わせて、ラクスも自室に戻るという。
 
アスランは2人に本日の礼を改めてすると、姫君達は揃ってそれを笑顔で返し、出て行った。
次いで自分もキラの部屋から御暇(おいとま)するべく、キラに挨拶でもしようかと振り返った時、アスランの裾をキラの手が掴んだ。
 
「まさか、このまま帰る、って訳じゃないよね?」
 
気のせいだろうか、キラの笑顔がやけに冷たい。
 
「は?どうしたんだよ、急に…」
 
「どうしたもこうしたも、散々振り回しといて何も話さないで帰るのはないんじゃないの?って話だよ。」
 
…やはりその笑顔は冷たかった。
あぁ、そういうことかと理解し、これ以上ちくちくと棘を刺される前に、ごそごそとジャケットから例の小瓶を出す。
 
「お前が言いたいのはこれだろう?」
 
アスランの手の平に乗るほどの小さな小瓶。
もちろん、只の小瓶ではない。話の流れからしても、カガリがアスランに渡したものと既にキラは承知しているようだ。
 
「うん、そうそれ。…ってか何?その中身は…。海水?砂?」
 
「オーブの水と砂らしい。詳しいことは俺にもよく分からないんだが…。」
 
「ふーん…。君がよく分からないような物を貰うなんて、そんなこともあるんだね。」
 
”よく分からないもの”…だと?
キラのあまりの言い草に、アスランの眉は一瞬だけぴくりと動いた。
しかしそれ以上の動揺は見せまいと、いつものすまし顔に戻って、キラが掴んでいる裾を取り上げる。
 
「もういいだろう。お前が考えている通り、これはカガリから貰ったものだ。この瓶に対して何かあるんだったらカガリに言うんだな。」
 
そう言うと踵を返して、すたすたと出口へ向かう。
 
「僕がカガリに聞く訳がないって分かって言ってるんでしょ?それ。」
 
ここでようやく笑顔から厳しい表情に戻ると、キラはつまらなさそうに口を尖らした。
どうやらアスランにこれ以上聞いても無駄だと、そう判断したらしい。
 
「さぁ、どうかな。」
 
返答を濁したまま、出口のボタンを押すと、アスランはキラの方を一度も振り返らずにそのまま出て行った。
今日何度目かの扉の閉まる様子を見たキラは、溜め息を吐きながらそのままベッドにごろん、と寝転がる。
 
「…カガリの力は偉大だなぁ。」
 
その表情には、キラが誰にも見せることがなかった今日一番の笑顔で覆われていた。
 
 
 
 
 
一方その頃、エターナルの自室に戻る途中の廊下で、アスランはまだジャケットに入っている小瓶を握り締めていた。
只の水と砂…な訳がないその中身全てを握り締めるような、そんな力を込めて。
 
 
 
 
 
 
2人がコックピットから出て、ドッグに降り立った時。
カガリが再び、思い出したように手をぽん、と打った。
 
「そうそう。あともう1つ。」
 
「え?」
 
どうしたのかと思えば、何やらジャケットのポケットの中をごそごそと探っているらしい。
しかしポケットなのだから、それに時間はほとんど要しなかった。
探し当てると、そのままアスランの前に、ほら、と差し出して見せる。
 
「誕生日プレゼントだ、アスラン。こんな物で悪いが。」
 
それは手の平に容易に乗せられる程の小さな小瓶だった。
中身は…水、と砂なのだろうか?
まさに”星の砂”という名で売られているのをよく目にしたことがある。そんな中身が入った瓶だった。
 
「これは…」
 
「中身は只の水じゃないぞ。オーブにある神殿に程近い湖の湖水とその湖にある砂だ。白くて綺麗だろう?」
 
「あぁ…。」
 
確かに綺麗だ。
砂は本当に砂かと疑ってしまう程雪のように白く、水は湖水だというのに不純物など何もない程透き通っている。
アスランが今まで見たことがない程美しい自然の産物達をまじまじと見ていると、カガリが更に何かをたくらむようにいたずらっぽく笑った。
 
「いいか、アスラン。お楽しみはこれからだぞ?この瓶を少し振ってから、かき混ぜるように回すんだ。すると…。」
 
言いながら瓶を言葉通りに回すと、カガリは瓶を見上げる形になるように2人の間ですっと高く掲げた。
丁度ドッグのライトの下に位置したその瓶をアスランが見上げると……幻想的な光景がそこに広がっていた。
 
そう、これは…
 
「……ゆ……き……」
 
思わず、口に出してしまった。
もしかしたら実物を見たことがなかったからこそ、期待してしまったのかもしれない。
ライトから得た光を纏って水の中でゆっくりと沈殿していく白い砂は、まるでいつかの映像で見た雪のようだった。
通常より白いとは言っても元は砂である。砂に当てられた光は更に反射して、きらきらと舞いながら落ちていった。
静かに底に積もっていく砂達は、目まぐるしく過ぎていく時間に逆らうように、穏やかな世界をそこに作り上げていく。
人工物では決して作ることが出来ない、まさに神秘的な美しさを放ちながら。
 
やがて全ての砂が瓶底に沈むと、カガリはゆっくりと掲げていた腕を下ろして改めてアスランの前に差し出した。
 
「オーブに雪はない。だからこれがオーブにある唯一の”雪”だ。プラントも雪は滅多に降らないんだろう?だからお裾分けだ。」
 
小さなカガリの手からそれを受け取ると、アスランは改めて瓶を見つめた。
…彼女は…カガリは何を思いながらこれを作ってくれたのだろう?
たとえ中身は”雪”でも、何とも温かい”雪”がこの瓶には詰まっていた。
 
「…ありがとう。大切にする。」
 
本当は言葉だけでは伝えきれない想いがあった。
どこから何を彼女に伝えていいのかすら分からなかった。
 
だから、今度はアスランがカガリの手を引く番である。
 
「そろそろ行こう。キラに更に怒られるそうだ。」
 
空いている方の手でカガリの右手を掴むと、そのままぐいっと引っ張って此方に寄せた。
 
「…うぁっ…ちょ、ちょっと待てよ!お前っ…!」
 
「待たない。」
 
暴れる彼女を何とか引っ張り、後は慣性に任せて移動する。
後ろでは絶えずカガリから小声で何かが聞こえてきたが、結局そのままカガリはアスランに手を引かれる形でキラの部屋へと戻ることとなった。
 
 
 
 
 
 
…きっと、このことをそのままキラに言えば更に棘を刺されるに違いない。
アスランは自分の部屋のロックを解除しながら、先程のキラとのやりとりと合わせて思い出していた。
あまり口が上手くないのを承知で下手にごまかすと、只でさえ勘のいいキラの前では返って危険なのだ。
…もしかしたらラクス伝いで何かキラにも伝わるかもしれないが、まぁその時はその時だろう。
 
部屋に入り、ベットの横に設置してある棚に握っていた小瓶をそっと置く。
移動してきたせいか、瓶の中ではまた”雪”が舞っていた。
 
「綺麗だな。やっぱり…」
 
そして不思議と温かい。まさにオーブの雪。
素直に、心からこの雪がある場所へと行ってみたいと思う。
今度は軍の任務ではなく。宇宙(そら)へ旅立つためではなく。
カガリも、キラも、ラクスも、そして思いだけでも母と一緒に。都会よりも農地や新緑溢れる森林が好きな母に、自分を通してオーブの自然を見せてあげたい。
その為には…全て終わらせないといけないのだ。戦争という憎しみを絶つためにも。
 
疲れが再び体に圧し掛かると、それに逆らうことなくアスランは体をベットに沈めた。
だんだん視界が暗くなった頃、遠くでまた誰かが自分を呼んでいる気がする。
ありがとう。
温かな声は確かにあの人のものだった。そしてその声にもまた、アスランは声を掛けた。
 
 
---来年もお会い出来ることを楽しみにしています。
 
 
何処かで分かっていた。
きっとあの夢を見ることはないだろうと。寂しく笑う顔を見上げることもないだろうと。
しかしこの約束を果たすためには、自分が今日という日を忘れてはならないのだ。
大切な人達のためにも。この温かな声をもう1度聞くためにも。
 
 
 
 
 
---小さなアスランは、温かい雪の上で母の手を引きながら歩いていた。
 
---あちらに向こうに合わせたい者達がいるのだと。
 
---きっと母上も大好きになるよ、と。そう言って少し恥ずかしそうに母を見上げる。
 
---そこにはアスランの大好きな、優しく穏やかに微笑む母の顔があった。
 
 
 
----また、来年。
 
----今日という日にこの場所で。
 
 
 
 
----Happy Birthday, Athrun.
 
 
 
 
 
 
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*管理人コメント*
携帯でも我が家をご覧になったことがある方はお気付きかもしれませんが……。
実は07年用のアスランハピバ小説だったりします。あ、あはははー…(滝汗)
忘れていた訳ではないのですが、ここは忘れたことにしときましょう。
す、すみませんー!!!!
子アスのお話を書くのは何だか新鮮で楽しかったです。
自分の誕生日を忘れがち、という設定はありきたりかもしれませんが、今回はその過去に触れてみました。
他の子供より大人びていたとしても、やっぱりそれなり子供心はあったんだよーっと。
いつかザラ一家のほのぼの話でも書いてみたいです。

08/02/05