見上げた空はどこまでも青々としていて。
見つめる先の海は静かに水面を揺らし。
吹き抜ける風は大地を呼び起こすように木の葉を舞ってみせる。
-----眩しすぎる程の光を放ち、全てを包み込むような温かさを持つ太陽の下で。
ス ピ カ
小春日和となったこの日、アスランは一人オーブのとある森の外れへと来ていた。
森、と言っても然程大きくもなく、少し歩けばオーブの海を見渡せる小高い丘に出る。
道という道がない為、多少背の伸びた草達の中を掻き分けるように進む必要があるが最初と比べれば随分と慣れたものだ。
以前、彼女に手を引っ張られるようにして連れて来られた思い出は少し恥ずかしくもあり、懐かしくもある。
ざっ、ざっ、と手を草で切らないよう注意しながら奥へと進むと、やがて辺りが明るくなり、草達もその進入を拒もうとはしなくなった。
この森は不思議なもので、まるで知る者でしかこの場所への立ち入りを禁ずるかのように、ある程度奥へ行くと途端に歩き易くなる。
そう、彼女と”認められた者”でしか入ることの出来ない場所。
……は、考え過ぎか。
…どうにも最近自分にとって都合の良い解釈をしてしまう傾向があるらしい。
この前久々にイザークやディアッカに会った時も、自分の最近様子を聞いては「気持ち悪い」だの「変わった」だの言われ放題だった。
せめて”前向き”、ぐらい言って欲しいんだけども。
でも確かに、以前と比べたら大分……変わったんだろう。自分だけではなく、彼女も。
彼女の変化を表すように、以前のような不安定な情勢ではなくなっているし、何より輝きが増した気がする。
綺麗になった、と言えば一言で済むが、それだけじゃ表せない強さと輝きを体に宿している。
手を伸ばせば届くかもしれない。けど、まだその時間(とき)じゃない。
俺も、彼女も。
近いようで遠い、遠いようで近い。そんな距離を保ちながら今は別々の道を歩んでる。
決して今は共に同じ道を歩めないけども、……信じたい。
この森のように、道なき道を歩んでも辿り着く場所は一つなんだと。
ふ、と風が止み、少しざわついていた森が静かになる。
聞こえるのは草々の上を歩く自分の足音と、一定のリズムで音を奏でる波の音のみ。
しかし音はなくとも、森でも海でもないある匂いがアスランに届いた。
「……これは…!」
はっと顔を上げると、すぐさま海風が再びひゅっと横切る。
途端、ややゆっくりと進めていた歩幅を急ぎ足に替えて森の出口へと向い始めた。
走り出したい衝動を何とか押さえ、ただひたすら間近にせまるあの場所へと足を運ぶ。
光を。その先にある光を目指して。
うっ、と太陽の眩しさに思わず目を細め手を額にかざすと、そこには木々も進路を阻める草も無い。
……森の出口はいつも突然現れる。
出口に立つと、そこは180度海が見渡せる草原があった。
小高い丘になっている為、ここから直接海に入ることは出来ない。
が、海を、草原を、空を見渡せるこの場所はまさにオーブの自然を全てここに集めたかのように美しい。
何度来ても、必ず溜め息を吐いてしまう。
人工ではない、自然に出来た美しさ。
しかし今回はこの自然ばかりに意識を持っていかれている場合ではない。
先程の匂いの元を探して、きょろきょろと見渡す。
あれは…間違いない。しかしいる筈がないのにどうやって……。
ザザーン、と孤独を誘うような波音をかき消すように、アスランは叫んだ。
「カガリ!!いるのか?!!!」
しかしこれに応える声は無く、やはり波音がこの空間を支配するだけだ。
もう一度呼んでみても、結果は同じものしか付いて来ない。
もしかして、あの森ですれ違ったのだろうか?
なら、今なら間に合うかも……
体を、足を再び森に向け、その入口へと踏み出そうとした時。
後ろから、先程の香りを伴って懐かしいあの声が聞こえて来た。
「アスラン!こっちだ!こっち!」
「…っ、カガリ!そんなに急ぐな!転んで怪我でもしたら…」
「大丈夫だって!それよりさっきから草で手を切ってるお前の方が危なっかしいぞ!」
「……こんなの、かすり傷だ。」
先程から似たような会話ばかりしている。
任務で水中からの上陸参戦はあっても、こんな木々や草が生い茂っての潜入行動はほとんど無かった。
モビルスーツ専門だったとはいえ、目の前の少女を前に悪戦苦闘する姿を晒すならこういう訓練も受けとけば良かったと、心の中で舌打ちをした。
「カガリ、一体どこまで…」
もう随分と歩いた気がする。
疲れはないが、さすがにこんな森の奥深い場所まで来ると不安は募ってしまう。
「もう少しで出口だよ。きっとお前、びっくりするぞー!」
しかし相変わらずカガリはこんな様子で。
時折アスランを見てはにんまりと笑っていた。
「だから何なんだ、びっくりするようなことって。」
「もう、それを言ったらびっくりしないだろう?秘密だ、ヒ・ミ・ツ!」
そうして少し歩きやすくなった森を、先程よりもスピードを上げてずんずん進んでいく。
道を作ってくれているのだろうか、アスランよりも数歩、いや数m先をカガリは歩いている。
それに何とか付いて行きながら、度々草で指を切りながらアスランはカガリの後を付いて行った。
と、カガリがいきなりくるりと振り向き、それも満面の笑みを浮かべてアスランを呼ぶ。
「アスラン早くしろ!ゴールはすぐそこだぞ!」
何がそんなに楽しいかは理解し兼ねるが、不思議とカガリの笑顔を見てアスランの表情も緩む。
少ししてようやくカガリの横に並ぶと、光の向こうから見える景色に意識を全て持っていかれた。
「…ここ…は……」
空が、海が、風が、木々や草花が一つのフィルムに集約しているような光景だった。
果てしない空、雄大に広がる海原、風に揺られる木々と草花達。
初めてみる自然の美しさに、どうコメントしたら良いのか分からない。
ただぐぐ、と胸を締め付ける何かがあって、水を打たれたように体が動かなくなってしまっている。
そうして全身に鳥肌が立ったかと思えば、目に温かいものが溢れ出しそうになった。
「…綺麗だろう?」
そんなアスランの様子を見て、満足そうにカガリが呟く。
「お父様と私だけが知っている……ヒミツの場所なんだ。」
その一言でようやく、え、とアスランがカガリを見やった。
今、何て?
「秘密って……いいのか?そんな場所に俺なんかを連れてきて。」
もしかしたらアスハ家の所有地だったのだろうか?
…というより、アスハの者以外が立ち入ってはいけない場所なら自分は…。
しかしアスランの問いに今度はカガリが顔をしかめる。
「バカ。アスランだからだろう?……その……いいんだ、私が連れてきたかったんだから。」
そう言うと、視線を少しだけ下にずらして、しかめた顔がほんのり赤く染まった。
それを見たアスランも、まるで化学反応を起こしたように耳まで真っ赤に染まる。
少し肌寒かった海風も、2人の熱を下げるにはまだ温かかった。
「そ、それよりもっと先に行こう!この丘の先は崖になっているから危ないけど、そこまで行かなければ大丈夫だ!」
「あ、あぁ。」
甘いような、重たいような、そんな空気を一蹴するかのようにカガリがわざと大きな声で話すと、アスランはそれにはつっこまずにカガリに続いた。
しかし再び先に行こうとするカガリの手を何とか捕まえ、驚いて振り向いたカガリに微笑みながら自分の横を歩くよう促す。
大人しくそれには従ったが、手を繋いだままの状態にやはり顔を赤めるのであった。
何度抱きしめても、キスをしても、それ以上のことをしても、カガリはいつでもこういう反応を返す。
それがまたアスランにとって微笑ましいことであり、とんでもなく嬉しかったりするのだった。
距離にして50mも満たない先を歩くと、カガリは立ち止まり、ぱっとアスランの手を離した。
少し寂しい気にもなったが、続くカガリの行動に再び胸が締め付けられる。
「……花?」
カガリがアスランの手を離して、自分の胸元から出したもの。
それは一輪の白い百合の花だった。
「本当は花束がいいんだけど…あの森だろう?ぐちゃぐちゃになっちゃうから、一輪だけ胸元にしまって持ってきたんだ。」
「これを…どうするんだ?」
「あぁ、そういえば言ってなかったな。丁度この丘がプラントが一番よく見える方角なんだ。だからお前のお母様やお父様、そしてプラントの人々にって思って。」
そっと労わるように百合を抱え、そのまま膝をついてゆっくりと地面へ下ろす。
「昼間だし、こんなに小さな島国だから、見えないし届くこともないだろうけど…。」
百合を見つめながら少し寂しそうに笑うカガリを、アスランは後ろから強く抱きしめた。
強く、少し息苦しいくらいに。
「ありがとう…」
しかしカガリの肩に顔を埋め、切なげに発せられた声はカガリの抗議の声を止めるのに充分だった。
変わりに、自ら手をアスランの手に重ねる。
「また来よう、アスラン。今度は花を二輪、添えられる。」
「あぁ…。」
この景色を見せたくて、この花を捧げたくて、少女は一国の主という職務の忙しい時間を掻い潜ってまでこの森へと連れてきてくれた。
その無垢で純粋な姿はそれらを花言葉に持つ白百合に正に相応しい。
現にカガリからは白百合の美しい香りがした。
顔を上げ、抱きしめていた腕を解き、代わりに彼女の頬にそっと手を添えてこちらを向わせる。
ゆっくりと輝く琥珀色の瞳と透き通る翡翠色の瞳が閉じられ、まるで崇高な儀式のようにゆっくりと二人の唇が重なった。
*
『アスラン!』
きっと、そう呼んでくれるだろうと。
屈託のない笑顔と共に、その声が再びこの地で聞けるのだろうと信じていた。
はっと振り返ると、そこにはやはり海と草原、そして自分しか存在はしていなくて。
たった今聞こえた筈の声が、ただの空耳だと実感するのにそう時間は掛からなかった。
「…俺も、重症かな。」
はは、と自嘲気味にから笑いすると、足の向きを再び海の方へと変え、歩き出した。
そういえば、本来自分はこの場所に用があったのだ。
慣れたとはいえ、せっかく苦労して来たのにこのまま帰っては意味が無い。
と、ふいに海風と共に、アスランの前に白い花びらが一枚舞った。
思わずそれを何とか手のひらに収める。
見ると、ここには咲くはずのない花のものだった。
「…そうか……。」
その花びらをもう一度じっくり見つめてから、ゆっくりとあの場所へ歩を進める。
そして足を止めた時、ふ、と笑みが漏れた。
「先を越されたな。」
胸元から一輪の白百合を出すと、ゆっくりと膝をついて、既に横たえられている一輪の白百合の隣にそっと並べる。
花の様子を見ると、本当に先程ここを後にしたみたいだった。
今が午後だから…遅くても午前中、だろうか。
どんな偶然、もしくは神のいたずらかは図りかねるが、最初にここを訪れた時…まだ何も分かっていなかったあの時と変わらない姿でこの百合を添えたのだと、不思議とそう確信した。
近いようで遠い。遠いようで近い距離にいるだけで。
こうして道先は同じだと、再び信じることが出来るから。
先程よりもふわっと優しく撫でるように吹く海風は何とも心地よくて、白百合の香りがその都度アスランの鼻をくすぐる。
あの時と同じ、彼女と同じ香り。
まだ明るい時間の為プラント自体は見えないが、アスランは空を見上げ、呟いた。
「貴方方にも、届いていますか?」
今は亡き、最愛の貴方達に最大の祈りを、永遠の安らぎを、慈しみを。
きっとこの白百合の香りが届けてくれるだろうから。
「今日もオーブは、とても温かいですよ。」
全ての大地を包み込むような光と温かさを持つ太陽が、この国にはあるのだから。
2月14日。晴れ。
「血のバレンタイン」を知らせる平和の鐘の音を、アスランはここで静かに聞いていた。